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バベル [社会]

公開はまだまだ先だが、『バベル』の日本向け公式サイトができた。

少しどころか大分話題が逸れるが、バベルのはなしに限らず、宗教的な教義を世相に重ね合わせて悲観する風潮は昔からある。そうした解釈から現代を見ればまさにツッコミどころ満載の世の中だ。
土曜とか日曜の報道番組の特集風に云えば“信頼関係の崩壊”というところか。政治家と国民、雇用者と被雇用者、教師と生徒、そして親と子の信頼関係は確かに強固とは云いがたい。しかし、どうだろう?本当に“崩壊”と呼べるほどしっかりしたモノが嘗てこの国にあったのだろうか。
現実から目を逸らして懐かしむ過去は素晴らしい世界に違いない。でも、多分、それは幻想だ。「我々は乗り越えてきたのだ」という自負が過去の労苦を軽減させ記憶を曖昧にさせる。中途半端な共通点を見つけては知ったフリをして批判し、評価し、やがて忘却する。
以前、イジメについて、“イジメにあう人は僕みたいなのとは正反対のタイプが多いのだと思う”と、まるで自分がイジメとは全く関係ない人間であったかのように書いたが、これも恐らく幻想なんだと思う。小ズルく立ち回って困難(といっても大したものではないけれど)を回避してきたという強烈な思い込みに支配されて、イジメに関して積極的に思い出そうという気がないだけなのだ。お陰で、子供は昔の自分の様にズルくて残酷な存在なのだという固定観念からどうしても抜けられずにいるワケ。
今、教師が槍玉に挙げられているけれど、教師を責めたところでどうしようもないコトだという気もしてくる。彼らも僕と同じワンダフルワールドの住人で、イジメに遭っている子供達の悲痛な想いをイメージできないのだろうから。
その一方で幻想の世界を持てない人達もいることだろう。虐待やイジメによって人生の早い段階から逃げ場を奪われた人達は、“乗り越えた”という感覚がない為に呪縛から逃れられずに何時までもそこに固執しづづけるしかないかもしれない。悲しみが新たな悲しみを無限に量産し続ける絶望的な世界だ。

イジメに限ったことではない。病気や障害、出自、所属など大小の差こそあれ、そこに出現する溝は他者との意思疎通を断絶するには十分なくらい深い溝なのだと思う。“信頼関係の崩壊”は現在進行形で百人百様の“現代”を建設し続ける我々人類に課されたバベル(=混乱)の呪いなのかもしれない。

どうもハナシを本筋に戻せそうにないので、もう一つ。
僕は無神論者ではないけれど、唯一絶対の神様を崇め奉るほど寝惚けてもいないという自負がある。“アンタの創った世界には、バベルの塔を崩壊に至らしめたちんけな怒りに屈するほどデキタ人間ばかり住んでるワケじゃねぇんだぜ”ということを声を大にして云ってやりたい。そんな気持ちで映画『バベル』の公開を心待ちにしている。


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