SSブログ

“全てを疑う”という生き方について [テレビ]

昨日見たETVのことが気にかかる。番組のつくりというか、論調としては多様雑多なモノゴトの中から自分にとって必要なモノを見つけ出す能力が即ち“教養”であるといったような感じだったと思う。僕は番組後半の質疑の場面で太田が述べた「“全てを疑う姿勢”が重要なのではないか」という意見に親近感を覚えたのだけれど、これは考えようによっては物凄く難しいテーマだとも思う。疑うことの限界と云えばわかり易いだろうか。芥川龍之介が「懐疑主義の没落は疑うことを疑わなかったところに拠っている」というようなコトを言っているが、平たく云えばそういうコトだ。

ちょっと話題から逸れるけれど、膨大な歴史知識を蓄積した上で自らの思想の臨界を試した芥川の生き方(作風)は今回の番組の論調に見事に合致すると思う。しかし、どうだろう?果たして人はそうした生き方に耐え得るだろうか?ニーチェは耐え得る人間=超人になれと言った。芥川は超人に限りなく肉薄した人なのだと僕は思っている。結果としてニーチェは狂死し、芥川は自死した。この2人が自らの最後をどう感じたのかは僕にはわからないけれど、一般的な見方をすれば悲劇的な末路だと云えるだろう。

“全てを疑う”ことは不可能だ。ことばがそれを許さないのだ。しかし、太田の言う“全てを疑う『姿勢』”を目指すことはできるかもしれない。ただ一点、太田の想定する「全て」というのは、親の言いつけであるとか学校教育や政治の有り様といった上っ面の部分でしかないような感じがするのはとても残念だ。これは僕の感受性の問題かも知れないが、太田が余りにも簡単にこうした発言を繰り返すことも起因しているんじゃないかなと思う。

自分自身を疑うということについて、或いはことばを疑うというコトがどういうことであるのかを小林康夫辺りがフォローしながら議論がなされれば、もう少しスッキリした道筋が見えたのではないか。
まぁ、冒頭にも書いた番組の方向性からすると、僕(視聴者)がこうした形で何かを考えるに至ったという点で成功と言えるかもしれない。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。