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続・愛について(或いは“エゴの屍を越える”ことについて) [雑感]

昨日は、ちょっと思うところあって、今まで見たテレビ番組の内で最も印象深いものに絡めつつ“愛”について書いた。
今日は『エゴの屍を越えて』というちょっといかめしいブログタイトルの由来から書こうと思う。僕は、「ことばだけで“愛”が伝わるのなら人が涙を流す理由はなくなる」と信じて生きてきた。17、8歳の頃のハナシだ。まぁ、人並みにロマンチックな少年だったワケ。自らの言語能力の欠如を棚に上げて、想いを伝えきれないもどかしさに苛立ち、抑えきれない自意識との格闘の末に戦意を喪失し、遂にことばを呪うに至る。これは思春期に特有というか、極々ありふれた流れと云えるだろう。
しかし、人の思いは移ろう。変わり行く自分に戸惑いながらもそれを素直に受け入れる自分を発見し、それが成長なのかそれとも退化なのか自問する。自分に割当てられた“定め”と将来に対する淡い期待との間で揺れ動く20代前半。僕はそこである事に気が付いた。
“想いを伝えきれないのは『ことば』のせいなんかじゃなくて、実は自分の『想い』の側に問題があるんじゃないか?”
その疑問は、例の「“愛”を知らない民族」のドキュメンタリーによって確信に変わった。

でもね、正直云えば、今も、『ことば』を完全に信じることができずにいるんです。全てをことばのせいにして逃げたくなる。そうした想いを“エゴ”と定義するところからこのブログが生まれたワケ。エゴを乗り越えて実践する(想いを伝え続ける)ことによって、何かが見えるんじゃないか?タイトルにはそんな想いが込められているのであります。


前置きが長くなったが、改めて“愛”について書く。
とは云うものの、愛について何を知っているか?と聞かれれば、閉口せざるを得ない。ただ、“愛”とか“信仰”ということばは他のことばとはちょっと異質なモノだと思っている。実践なくしては決して語ることのできないモノなのではないかな、と。
(まとめにしてはちょっと厳しいかもしれないが)愛と信仰について多くの言説を残したキリストは稀代の実践者であったと思っている。


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