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昭和天皇発言メモの波紋(天皇制について) [社会]

昭和天皇がA級戦犯の靖国神社合祀に強い不快感を示していたことを記録した、富田(元宮内庁長官)メモが話題になっている。小泉総理在任中の8・15参拝や9月の総裁選を控えもうひと波乱あるかと予想されたが、自民党(森派)の対応は素早かった。まず、小泉の信念が揺るぎないモノであることを発表し、続いて跡継ぎの安倍から“天皇の発言の政治利用”を懸念する旨の牽制コメント、更に間を置かず福田康夫に総裁選の不出馬を表明させ、事態の収束(自民分裂を回避)に努めているようだ。
毎度のコトではあるが、マスコミ各社もこの流れに同調しているようで、今回も野党は蚊帳の外といった感がある。

ブログにも今回の件に関する記事は多くて、いくつか読んでみたのだけれど、実に様々な意見があるんだなと感心してしまった。ここぞとばかりに靖国問題に絡めて小泉政治を批判する人もいれば、中には天皇の戦争責任論なんて少し見当外れなコトを持ち出す人もいる。
ネット右翼と呼ばれるジャンルがあるようで、彼等は拉致問題や竹島の問題に関して北朝鮮や韓国を強烈に批判するのだけれど、今回のように皇室の側から自国に向けられた疑問(特に先の戦争に関する批判)が出てくると、たちまち萎縮してしまって意見が混乱してくるのがちょっと微笑ましくもある。

“ネット右翼”を擁護するつもりはサラサラないのだけれど、やや右寄りの立場から天皇制について書くことにする(なんて偉そうなコトを云うと生粋の右翼の人たちに怒られてしまうかもしれないが)。
僕は、天皇制というのは実に機能的で便利な制度だと思っている。つまり、日本文化におけるプラスの面もマイナスの面もひっくるめて請け負っているのが天皇の存在なのではないかという考え方なのだが、この話題を扱うには少なくとも“戦争観”、とりわけ“大東亜戦争に関する見解”を明らかにする必要があるように思う。(因みに先の戦争の名称を「大東亜戦争」と呼ぶか、はたまた「第二次世界大戦」と呼ぶかは、その人の思想が右なのかそうでないかを判断する一つの目安になる。大雑把にまとめると、戦争には、宣戦を布告した側がその戦争の名称を決するという暗黙の了解があって、この場合、結果的には敗戦したものの、そもそも意識的に戦争を始めた日本が「大東亜戦争」という正式名称を閣議決定しているワケで、これは戦争の評価(良かった・悪かった)に関わらない事実ではないかというのが右の主張なのだ) 戦争とは国家間の対話の極限状態なわけで、石破茂風に云うと国際法にも認められている外交の一つの手段だ。ココにおいて成功を収める道は戦争に勝つこと以外には無い。つまり、勝たなければ意味がないのだ。
戦争の是非についてなんだかんだ議論するのもイイし、ジョン・レノンを崇拝するのもいいかもしれない。しかし、政治家がそれをやったらお終いだ。一つだけ確かなことは、他国が自国の領土や国民に対して特殊な関心を抱いている場合、例えば拉致や竹島の問題、或いはミサイル発射の問題が過熱した場合にどう対処するかは国民が決断しなければならないというコトだ。時には世情を鑑みて、戦争の意味を直視することも必要なのではないだろうか?


つづく


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