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天皇制について(再び) [社会]

前回に引き続き戦争と天皇制について書く。
高度経済成長期に色濃く見られた「戦争はいけない」的な風潮に疑問があった。(この時期はマスコミが世論を誘導するほど強大な力を手に入れる過程に合致しており)マスコミが自らのアイデンティティを保つ為のスローガンに過ぎなかったのではないかと考えているワケ。

さて、大東亜戦争と天皇制ついて。(VIDEONEWS.COMでは)霍見芳浩や江川達也が宮台真司との議論の中で、現在の天皇制につい言及するには恐らく明治維新まで遡らなければならないだろうと結論付けていたが、多分その通りだろう。それは大東亜戦争についても同じことが云えると思うのだけれど、その辺(明治維新頃)の勉強が圧倒的に足りないので、追々付け足していくということで、ハナシを進める。大東亜戦争を巡っては、様々な思惑が交錯し今に至っているワケだが、大まかに二つに分けられる。一つは「軍部の政治介入を助長した翼賛体制の招いた悲劇である」というもの。もう一つは「列強の恫喝に近いプレッシャーの中で、国体維持の為、心ならずも開戦に至ったが結果として多くの悲劇を生み出してしまった」というもの。
前者は国内に、後者は国外に比重を置いていて一見「右・左」がハッキリしているような感じがするが、どちらも似たようなモノだと思うし、最後に“だから二度と同じ悲劇を繰り返してはならない”とか尤もらしい言葉を付け加えれば、まさにマスコミの言い分にグッと近づくような感じもする。冒頭にも書いたけれど、戦後マスコミはこうした非生産的でありながら尤もらしく聞こえる議論を延々と繰り返すことで思想自体をマイルドでグダグダなものにしたのではないか、というのが僕の考え。
まぁ、それは置いておいて、ここで注目すべきは、こうしたマスコミ的議論においては当時の国家元首である天皇の存在を微塵も感じさせないトコロだ。前回“天皇の戦争責任論を持ち出すのは見当違いだ”と書いたけれど、それは昭和天皇発言メモに関して戦争責任論を語るのはどうかというコトで、『天皇の戦争責任論』自体がナンセンスというわけではない。天皇の戦争責任なんてモノは自明のことで、いちいち取り上げるほどのことではないというコトだ。

自分のコトを右寄りと云っておきながら、戦争責任は天皇にも有ると書いてみたり、なんだかハナシがごちゃごちゃになってきたところで、つづきはまた後日に回す。
僕が今日ココに書きたかったことは“なんだかL・Rがごちゃごちゃな気がする”という感覚を作り出したのはマスコミなんじゃないかってこと。
ハナシの核心はこの続きにある。戦争責任を免責されてまで天皇の存在は残されなければならなかったのか?否か?というコトだ。僕はここに右・左の決定的な差があると考えている。


つづく


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yoshi-i

当方のBlogをご高覧いただき、ありがとうございます。貴兄のBlogも拝読しました。なかなか鋭いご指摘に、感嘆しております。やはり、日本の場合は、過去の経緯からなんでもかんでも、政治や歴史に結びつく感がありますが、現在の原理原則に基づけば、なんら騒ぎ立てたり、飛躍的な展開をすることもないのに、なんだか騒ぎすぎですよね。日本の世論?が、周辺諸国に外交カードを与えてしまっているというのは、マスコミがいかにことを軽率に報道しているかということでもあり、また、報道の自由が国益に反しても認められるべきなのか、というマスコミがいかに報道のあり方に確固たるコンセプトを見出せていない証拠といえますね。
by yoshi-i (2006-07-23 18:53) 

まつた

コメントありがとうございます。メディアが多様化するに連れて“ジャーナリズム”の重要性を説く声が多くなってきたように思うのですが、報道される内容はどんどん画一的になってきているような気がしています。これが良いことか否かは別にしても、僕はそこに何か方向性というか意思のようなモノがあるのではないかと勘繰りたくなってしまいます。そのお陰で、最近なんとなく性格がひねくれてしまったなぁ、とがっかりすることもあるのですが、yoshi-iさんのおっしゃるように現状をじっくりと観察し、飛躍やこじつけのない視点を身に付けていきたいと思っています。
by まつた (2006-07-29 23:44) 

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