生きる意味 [雑感]
一つ年上の友達と温泉に行った。人間30にもなると(まだギリで29歳だけど)、パーソナルスペースというヤツが狭くなったような気がするものなのかもしれない。そんなハナシをした。こっちはタダでさえ掃除がままならなくて、限られたスペースに身を潜めているワケだが。。。
性向とか拘りとかシガラミなんてものが知らぬ間に身についていて気が付けば、ヤケに窮屈な世の中に押し込められている。そんな感覚に捉われることがある。僕の持論なのだけれど、これは多分、勘違いだ。人は、未だ手に入れてもいないモノを失ったような気がしてガッカリしたり、見たことも無いモノを見たような気になって虚しさを感じたりする。原型を留めないほどに断片化された想い、ささやかな失望や虚無感のピースを組み合わせて、それが単なる妄想の発露であったことを思い知るのに30年かかった。沸点に達した妄想が凝縮された現実に蒸留される瞬間。人生がとても味気ないものに感じられる瞬間だ。
今でも、たまにだけれど、“生きる意味”について考える。
多分、生きることに意味なんてモノは“ナイ”。分かっているつもりなのだけど、そう思えば思う程、無性に、欲しくなる。
“生きる意味”を実感したくなるとき、僕は窮屈な世の中にいる。それは閉塞された自我の周りをまわる小さな世界に違いない。
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