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日の丸・君が代 [社会]

所謂、国旗国歌問題で9/21に東京地裁は「日の丸・君が代の強要は違憲」との判決を下した。これまでの流れを変える判断に対する反応は様々だ。
国旗国歌の問題にはあまり関心が無かった。というか、何が問題なのかよく分からなかったワケ。強制する都教委の意図も分からないし、それに過剰に反応する日教組の真意も分からない。ただ、こういう人達によって学校は管理・運営されているんだなということだけは分かった。

昔から学校は嫌で仕方なかったし、教師に対する不信は強い方だった。集団行動というヤツがどうも苦手だったのだけど、それを無理くり詰め込もうとする教師のやり方がどうも納得いかなかった。そうは云っても(たまにはサボったけど)学校には通ったし、心ならずも教師に媚びを売って場を切り抜けることも多々あった。子供ながらに、学校という特殊な環境においてはそうするコトが一番イイ方法だって考えていたのだと思う。
とは云えこのハナシは、僕の習った先生がたまたまつまらない奴等ばっかりだったという、それこそクソつまらない理由だけで片付けるワケにはいかない問題であるとは思っている。原告の教師達 の言い分は憲法に約束されている“個人の自由”に国旗掲揚や国歌斉唱の“強制”が抵触しているというものなのだろう。全くその通りだ。彼らの主張は尤もだと思う。しかし、それでめでたしめでたしとなるほど世の中はウマくできていないとも思う。生徒やその親、これまで何も考えていなかったノンポリ教師を同じフィールドに引きずり込んだという点で今回の判決は大きな意味を持つ。教育現場に認められた自由は今後あらゆる観点から曲解され矮小化或いは拡大解釈されて様々な問題を派生する可能性を秘めている。
僕が都立高校の生徒だったら、早速先生にこう聞くと思う。「センセイは国旗国歌についてどのような考えを持ってますか?」と。あとは簡単だ。そいつと反対の立場からコトあるごとにそれをつつけばイイのだから。
子供は自分の弱さを十分に知っている。弱い者を追い詰める能力は天才的だ。

教育現場の自由を勝ち取った教師達の敵は、都教委などではなく、もしかすると同胞や子供達の中から出現するかもしれない。法律で対処できない問題をどう解決するか? そのときは、本来教育によって培われるべき応用力の存在をちゃちゃっと証明して欲しい。


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