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死について [社会]

昨日は、「“何故人を殺してはいけないか?”という問い自体に矛盾がある」というトコロまで書いた。とても解りづらい表現だが、僕の表現力ではココが精一杯だ。

ハナシは逸れるが、高校生のときに現代社会の教師が「環境を良くする為にはどうすればイイか?」という問題を出した。僕はこの問題に対し、出題した教師への皮肉も込めて「人間がいなくなれば、環境のコトなんか苦にする奴はいなくなるんじゃないっすか」なんて、ひとつのヒネリもなくこたえてしまう、極々ありふれたツマラナイ高校生だった。多分、溢れんばかりの性欲を持て余して厭世的な気分に支配されていたのだろう。生殖本能なんかの薀蓄を交えて人間絶滅論を考える余裕があったなら、もう少し面白い議論ができただろうにと悔やまれるところだ。
ハナシを戻す。まぁ、そんなこんなで高校当時の僕はロクに勉強もせずに、『死刑制度や戦争は人を殺すことを容認しているのではないか?』なんて、ワケのわからないコトばかり考えては、社会に対する不信と怒りを日々溜め込んでいったワケ。これも今にして思えば、赤面せずにはいられない稚拙な疑問だ。死刑や戦争は、そもそも社会の存続を目的にしているのであって、積極的に殺人を推奨している訳ではない。今回の話題に即して云えば、“矛盾の排除”である。そう、我々の拠って立つ社会を脅かす行為(矛盾)が無ければ、死刑が執行される必要も戦争をする必要も更々ない。

ココにきてはじめて「人を殺しても云々」という議論が成り立つワケだ。例えば、『国民の負託を得た国家の遂行する殺人が許されるか否か?』 しかし、このテーマも『死』をめぐる無限ループの入り口なのだろうという気がする。


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