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テレビ革命 [テレビ]

関西テレビによる捏造のニュースのせいもあってか、ビル・ゲイツの(当然といえば当然過ぎる)予測に一層現実味が加わった感がある。

先日、『世界一受けたい授業』というテレビ番組で“情報社会におけるリスク認知”のハナシが出ていて興味深かった。要は報道によってスピンされた情報が如何に不確かなものであるかみたいなハナシ。普通メディアは自らの存在意義に関わるような話題を扱いたがらないので、その点では評価できる。
これが絶対的な自信(例えどんな話題を扱ったとしてもテレビは不滅だという)の表れなのか、或いはビル・ゲイツを始めとするネット愛好者の予測する社会に徐々にシフトチェンジしようとしているのか定かではないけれど。
もしも、情報番組で紹介される健康食材に殺到する視聴者の愚かさを指摘する意図があったとするなら、まだまだテレビも捨てたモンじゃないなと思えるのだが、、、それは穿った見方というものか。

どちらにせよ我が国のメディアリテラシーの次元が極めて低いことに変わりはない。
とかなんとか云いながら、大河ドラマと『華麗なる一族』は欠かさず見ている。根はテレビっ子なのだ。


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2007年初日から2006年を憂う [社会]

年末年始のお祭り騒ぎのドサクサに紛れて“トヨタ自動車の申告漏れ”が発覚した。この時期は新聞もTVも定番の年末編成で責任のある立場の人もみんな休みになるのだろう。タダでさえ内容の薄い紙面や放送にちょこちょこっと申し訳程度の報道がなされただけだった。

特にテレビにはがっかりさせられる。年も明けていないうちから占い師に来年どうなるか予言させ、年明けは金の掛からない新人芸人の漫才。通常国会の召集が近づいてきて漸く“この1年はどうなるか”なんて企画がチラホラでてくる。年末に出た経団連系ガリバー企業の不祥事はうやむやにされて、彼らに楯突くチャレンジャーは後に尾を引くような形で新年早々から叩かれる。テレビばかり見てるとバカになるとはよく言い得ているな、と思う。
フセインの死刑執行とトヨタの不祥事発覚からは、何か重大なモノを2006年と一緒に過去の記憶にしたいという強い意志を感じる。そのお陰で、2006年は兎に角後味の悪い年になったが、“重大なモノ”が今年中に災いをもたらさないようただただ祈るばかりだ。

さて、新春お笑い番組でも見て、今年もハナから年を忘れる勢いで現実逃避するか!?


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年末の買い物 [お気に入り]

システム手帳のリフィルを買いに行った。手帳を使い始めたのはココ数年のこと。前職の仕事柄欠かすことのできないアイテムだったので、ちょっと高価なバイブルサイズのモノを買ったのだけど、これが小さい上に差込ベルトも邪魔でしかたない。すぐにリング径の細いA5サイズに替えたら、今度はムダに大きいような気がする。上手くいかないもんだなと思っている内に故あって職を辞することになってしまった。うまくいかない時はとことんうまくいかない。そのまま惰性でA5サイズの方を使っていたのだが、年明けからサラリーマンに戻るのを機に折角買ったバイブルサイズに戻そうと思ったワケ。

リフィルのメーカーや形式にこだわりはないが、結局カバーに合わせて能率手帳にした。時期が時期だけに選択の余地も無く、あまりモノの週間ダイアリー(↑)を買うことになってしまったけれど。
とりあえず心機一転。使い勝手の良し悪しが分かるまではもう少しかかりそうだ。B5サイズのビジネスダイアリーじゃないと間に合わないなんてコトにならなきゃいいんだけど・・・

知り合いにいただいたまま使っていなかった図書カードがあったので、本屋に寄り道して、『石田徹也遺作集』にするか 『学問のすゝめ』か相当迷った挙句、『ソフトバンク「常識外」の成功法則』を買って帰った。


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『ドイツ人が描く“或阿呆の一生”』(芥川龍之介 原作 カイ・グレーン 脚色) [演劇]

昨日の夜、運転中に聴くCDがなくてたまたまFMラジオをつけたら、繊細で陰鬱な、それでいてどこか懐かしい感じのするフレーズが耳に入ってきた。興味をそそられて聞き入る。声は明らかに朗読口調なのだけど、普通の朗読劇ではなさそうだ。一見繋がりの無い短い文章を読んでいるようなのだが、流れに一貫性がないワケでもない。更には何の脈絡も無く科白がドイツ語に切り替わったりする。
聴く者の不安を掻き立てながらも、決して恐怖に落とし込むわけではない(延々と微かな不安を持続させる)新感覚の朗読劇を暫く聴いて合点した。このスゴ腕の脚本家の正体は芥川龍之介だったのだ。

高校時代に芥川を読んで、直感的にこの人はホンモノの天才だと感じた。今でもそう思うし、彼ほど誠実に“言葉”と向き合った作家は他にいないのではないか、とも思う。現代国語の教科書に載っていた『羅生門』や『河童』は正直どうでもイイが、末期の作品、特に『侏儒の言葉』、『西方の人』、『或阿呆の一生』は時代や文学という小さな枠に収まりきらない才能の表出を感じる。
年々評論家の視野が狭まっているのか分からないが、批評対象をそれぞれの専門分野に引き込む手腕に注目が集まる傾向は強まるばかりだ。脳科学だの数学をやっている学者が思想やら生き方を語る。百歩譲って彼自身の思想やヘアスタイルの品格に目を瞑るにしても、彼らは彼らの能力に応じた題材を集めてきて、世の中にマッチングさせるためだけの文章を書いているとしか思えないワケ。
残念とは思いつつも、そうした作家の芥川論を読むよりは、たまたまつけたラジオで優れた才能を再確認するほうがいくらかマシな気もする。

家に帰ってからネットで調べてみたら、僕の聴いたラジオ番組はNHK-FMの“FMシアター”という番組であるコトがわかった。今後の放送予定を見る限り魅力的な編成は無いが、気が向いたらまた車の中で聞いてみよう。
『或阿呆の一生』が収録されている本は多々あるが、角川書店の編纂スタイルが趣味に合っているので、とりあえずリンクを貼っておく。

或阿呆の一生・侏儒の言葉

或阿呆の一生・侏儒の言葉

  • 作者: 芥川 龍之介
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1969/09
  • メディア: 文庫


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居心地 [お気に入り]

昨日、今日と二日続けてマクドナルドに行った。初日は店に入って設定を済ませたところで急用ができてしまい、結局ネットに繋げないまま泣く泣く退散したのだけど、今日は100円のコーヒー一杯で40分ほど粘って通信速度を測ったり、アプリケーションの動作をチェックした。動画のストリーミング再生にもストレスはないし、とてもイイ感じだ。
苦労した点は2つ。①これは完全に僕側のミス。ネットワークの設定でIPアドレスを固定にしていた為に通信は立ち上がるがログイン画面にたどり着けなかった。②“Yahoo無線LANスポット”はソフトバンクテレコムの回線(BBモバイルポイント)にプロバイダを通して乗り入れ、ブラウザを起動すると自動的にBBモバイルポイントのログイン画面が立ち上がるんだけど、ログインIDがプロバイダ(Yahoo)で設定したものに@+[プロバイダ名]をくっつけなければならないコトを知らなかった為に手間取った(ログイン画面のヘルプですぐさま解決)こと。
実に初心者らしいつまづきだが、見方を変えれば初心者でも殆ど難なく利用できるサービスだと云える。

と、いうワケで、公衆無線LAN初体験はわりとスムーズにいったワケだが、敢えて難癖をつけるならサービスのプラットフォームとなるマクドナルドの環境か。
初日はちょっと急いでいた上に昼食も兼ねていて、コートを着たまま席についてゴソゴソPCを取り出し、ハンバーガーを食べながら電源を入れるなんて具合だったのだけど、店内が非常に暑くて、本来の目的を達成しないままPCをしまって店を出る頃には少し汗ばむくらいだった。外に出て冬独特の冷たく澄んだ空気を吸って真っ先に思いついたのはvideonews.comでよく話題にあがる“監視・管理社会”のこと。つまり、客の回転率を制御する為にアメニティ(空調や椅子の座り心地などなど)の調整が行われているんだろうなと考えたワケ。確かに客にとって本当に快適な環境を提供してしまえば、ノートPCやネットワーク対応の携帯ゲーム機なんかを持ち込まれて100円のコーヒー一杯で延々と居座られる可能性がある。それでは採算がとれない。
そういえば、So-netブログも昨日あたりから調子が悪いけれど、インターネットプロバイダなんかにも当て嵌まるかも知れない。インターネットの黎明期にはIT産業を牽引する役割を担っていたプロバイダだったが、ネット普及率が6割を超えた今、大目に見ても明るい将来があるとは云い難い状況にある。ホームページスペース、検索機能、Webメール、ポイント制、ブログ、映像配信とあの手この手のサービスで掴んだ客を放さない工夫をしているが、それらを維持管理していく費用もバカにならない。不用意にサービスを増やせばアクセスが殺到してサーバがパンクするし、気を抜けば後発のチャレンジャー企業が低価格を売り物にシェアを侵食してくる。すぐそこに限界が見え隠れするギリギリの戦いなのだ。サービスに障害が絶えないのも仕方ないといえば仕方がない。

是非もないこととは分かっているものの、新しいサービスを心地良く使い倒したいという欲望に果てがないのも事実だ。流行語大賞は“ミクシィ”に譲ったが、(IT 業界で働く人が選んだ流行語では首位に輝いた)web2.0の技術が如何にして我々消費者の欲望を飼い慣らすか見ものだ。


バベル [社会]

公開はまだまだ先だが、『バベル』の日本向け公式サイトができた。

少しどころか大分話題が逸れるが、バベルのはなしに限らず、宗教的な教義を世相に重ね合わせて悲観する風潮は昔からある。そうした解釈から現代を見ればまさにツッコミどころ満載の世の中だ。
土曜とか日曜の報道番組の特集風に云えば“信頼関係の崩壊”というところか。政治家と国民、雇用者と被雇用者、教師と生徒、そして親と子の信頼関係は確かに強固とは云いがたい。しかし、どうだろう?本当に“崩壊”と呼べるほどしっかりしたモノが嘗てこの国にあったのだろうか。
現実から目を逸らして懐かしむ過去は素晴らしい世界に違いない。でも、多分、それは幻想だ。「我々は乗り越えてきたのだ」という自負が過去の労苦を軽減させ記憶を曖昧にさせる。中途半端な共通点を見つけては知ったフリをして批判し、評価し、やがて忘却する。
以前、イジメについて、“イジメにあう人は僕みたいなのとは正反対のタイプが多いのだと思う”と、まるで自分がイジメとは全く関係ない人間であったかのように書いたが、これも恐らく幻想なんだと思う。小ズルく立ち回って困難(といっても大したものではないけれど)を回避してきたという強烈な思い込みに支配されて、イジメに関して積極的に思い出そうという気がないだけなのだ。お陰で、子供は昔の自分の様にズルくて残酷な存在なのだという固定観念からどうしても抜けられずにいるワケ。
今、教師が槍玉に挙げられているけれど、教師を責めたところでどうしようもないコトだという気もしてくる。彼らも僕と同じワンダフルワールドの住人で、イジメに遭っている子供達の悲痛な想いをイメージできないのだろうから。
その一方で幻想の世界を持てない人達もいることだろう。虐待やイジメによって人生の早い段階から逃げ場を奪われた人達は、“乗り越えた”という感覚がない為に呪縛から逃れられずに何時までもそこに固執しづづけるしかないかもしれない。悲しみが新たな悲しみを無限に量産し続ける絶望的な世界だ。

イジメに限ったことではない。病気や障害、出自、所属など大小の差こそあれ、そこに出現する溝は他者との意思疎通を断絶するには十分なくらい深い溝なのだと思う。“信頼関係の崩壊”は現在進行形で百人百様の“現代”を建設し続ける我々人類に課されたバベル(=混乱)の呪いなのかもしれない。

どうもハナシを本筋に戻せそうにないので、もう一つ。
僕は無神論者ではないけれど、唯一絶対の神様を崇め奉るほど寝惚けてもいないという自負がある。“アンタの創った世界には、バベルの塔を崩壊に至らしめたちんけな怒りに屈するほどデキタ人間ばかり住んでるワケじゃねぇんだぜ”ということを声を大にして云ってやりたい。そんな気持ちで映画『バベル』の公開を心待ちにしている。


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公衆無線LAN [お気に入り]

ヤフーが“Yahoo無線LANスポット”の提供を開始した。今のところプレミアム会員向けの先行サービスだが、来年6月以降は一般の顧客にも提供される。
先日WinVistaがモバイルPCを相当意識しているようだと書いたが、通信インフラの整備が見込めなければあまり意味がない、というか、マイクロソフトもわざわざそんなコトを前面におしだしたりしないだろう。勿論、通信速度にストレスがあれば公衆無線LANの価値はなくなるワケだから“見込み”があるに違いないと考えるのが普通だ。
低額(プレミアム会員は来年5月まで無料、それ以降は月額210円)の公衆無線LANの発展・普及が今後のネット社会の鍵を握っているように思う。

僕も孫正義のオハコ「無料期間」に惹かれて思わず契約してしまった。携帯電話のお陰で、外出先でPCを必要とする局面はあまりなかったけれど、パケット通信速度にイライラすることは幾度もあった。今後はモバイルPCの重さや形状が最大のネックになっていきそうだ。
マイクロソフト、ソフトバンク、PCメーカー各社。並べて書いてみると、全く新しい形のモバイルPCが生まれるのもそう遠くないような気がしてくる。

とりあえず、今日の昼飯は公衆無線LAN初挑戦を兼ねてマクドナルドにしよう。


Windows Vista [雑感]

先日書いた通り、『the Microsoft Conference 2006 仙台』に行ってきた。

Windows Vistaについては、先行体験コーナーなんてのを設けている電器屋もあるようだが、僕はPC本体を買うときくらいしか家電量販店には行かないので、今回はじめてVistaを触ったというワケ。率直な感想はどうだかなっていうところ。近未来的なグラフィックはかっこいいし、操作上のストレスも全くないのだけど、やはりWin98→XPへ乗り換えたときの劇的な感動を超えるものではなかった。体験用に置いてあったノートPCがハイエンドクラスのスペックだったのも手伝って、当然と云えば当然という感覚が増幅されたような気もする。やはりこの辺はビミョーとしか云えない。
そもそも製品のバージョンアップのインパクトは回を重ねるごとに小さくなるのが普通だ。パソコンのOSなんかは典型的と云えるだろう。ハードの品質向上や通信インフラの整備などの外部要因に拠るところが大きいし、運よくそうしたタイミングに恵まれても結局は消費者の購買意欲という追い風が吹かなければ、あらぬ方向に飛ばされてしまう。WindowsMeがいい例だ。

折りしも、googleの出現によってマイクロソフトの影は益々薄くなっている。Windows Liveで巻き返しを狙っているようだが、どこか中途半端な気もする。嘗てハイテク産業を付従えて頂点を極めた輝かしい日々を忘れられないのかもしれない。 このまま自らの創り出したドグマの内に沈みゆくのか、それとも不沈母艦として新たな航路を見出すのか?非常に興味深いところだ。

とりあえず、今回のカンファレンスを通じて“VistaはモバイルPCの可能性に注目して作られたOSだ”と感じたので、導入するのはWiMAXとかの次世代通信インフラが整う(1~2年くらいかな)のを待ってから検討しても遅くはないかなと思いました。


そうそう、例のしおりはS-PAL仙台に入っているソニープラザで買うことが出来ました。異動時間に少し勉強しようと思って『ネット社会の未来像』を読みながら行ったのだけど、案の定カンファレンスの内容とは殆ど被るところがなかったのでラストラインにセットして、帰りは居眠りしてました。


読書中の悩み [雑感]

久しぶりにネットサーフィンをしていたら、イイ感じの“しおり”を見つけた。僕は要領が悪くて、最近買った本と図書館から借りた本、読まなければならない本の3~5冊をとっかえひっかえ読むクセが身についてしまっている(勿論殆どアタマには残らない)のだけど、普通のしおりを挿んでいても、結局はそのページのドコまで読んだか分からなくなってしまうことがよくあるワケ。

この“しおり”、どうやらソニープラザで買えるようなのだけど、ひとつ150円のモノを買うのに送料525円をかけて送ってもらうのもどうかなぁ、と迷っていたら、丁度マイクロソフトから『the Microsoft Conference 2006 仙台』の案内メールが届いた。参加登録していたのもすっかり忘れていたのだけど、WindowsVistaがどんなものか見るついでに仙台のソニープラザも覗いてみようと思う。


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『23分間の奇跡』(ジェームズ・クラベル 著/青島幸男 訳) [お気に入り]

23分間の奇跡

23分間の奇跡

  • 作者: ジェームズ クラベル
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1988/07
  • メディア: 文庫


はじめてamazonの商品紹介を利用してみた。とは云うものの、最近読んだ本の中に面白いものがあまりないので、手始めにこれまで読んだものの中から特に印象深かった本について書くことにした。紹介料のギフト券を手にするのはまだまだ先のハナシになりそうだ。
さて『23分間の奇跡』について。戦争に勝った国と負けた国の明暗を小学校の一つのクラスにクローズアップして描いた非常に短い作品。国家や主義信条などの大枠は殆ど明かさず、終戦或いは国家的な闘争の終結によって派遣された新任教師が子供達に新しい考え方やモノの見方を淡々と教えて(植えつけて)いく様子はかえって生々しい。

先日web2.0について書いた。書いたと云っても日進月歩のスピードで進化し続けているインターネット技術についていける筈もなく、昔を懐かしみながら負け惜しみを2つ3つ書いただけだが。。。
最近、サイドバーによく見るサイトのリンクを追加したり、amazonアソシエイトの“おまかせリンクβ版”(独自のアルゴリズムに基づいて、貼り付けたWebサイトの内容に沿った商品を表示するプログラムで、amazon「独自のアルゴリズム」というヤツが当ブログの内容に応じてどんな商品をピックアップするのか非常に興味があった)を入れてみた。
ブログを立ち上げておきながら、その多様な機能を活用する気にはなれず、気が向いたとき気の向くままに雑記してきたのだけど、文字ばかりだとどうも味気ないような気がしてきたし、アフィリエイトだのドロップシッピングだのプレスブログといった新しいシステムが次々と登場して、そういうのを取り入れているブログを見ていると気になってしかたないワケ。
基本的にgoogleとかamazonは気に入らない。検索履歴とか購買履歴から次の可能性へ誘導するシステムにコントロールされるような気がしてイヤなのだ。盗聴法に根強く抵抗した共産党、或いは『23分間の奇跡』で教師を信じようとしない生徒みたいな感覚なんだと思うのだが、結局両者に倣う形になってしまった。システムの一部になることを受け入れてしまえば、なんてことは無い。便利で心地の良い世界が約束されているのだから。
そういえば、『23分間の奇跡』を知ったのも確かメディアのお陰だったじゃないか!?


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